発達障害ギリギリ日記

ASD(自閉症スペクトラム)を抱える中年の日記

今年の夏は暑いです。

久しぶりの更新です。6月で派遣の仕事が終わって、また派遣の仕事を探しています。

来週くらいから働きたいと思っています。読書(森の生活)と資格の勉強をしています。エンジニア関係の資格なんですけど、よく考えると、もう41歳で未練がましくそういう資格を取るのもどうだかなあ、なんて自分でも思ってしまいます。きっぱりと新しい業種でやり直すのもありと考えつつも、現状維持で、なんとか食いつなぐので精一杯といったところです。まあ、楽観的に行きましょう。

 

マンションの改修工事をやっています。12年くらい経ったからみたいです。ベランダとかを見ると前より質が明らかに落ちています。タワシでそろそろ磨こうかな?なんて思っていたのですが、マンションのベランダ、外壁、廊下などなど全て新しくします。

そろそろ完成に近いのですが、「前と何が変わったの?」という感じです。マンションの資産価値を保つためというのも聞いたことがあるのですが、業者に仕事を与えるためでもあるのかなあ?と思いました。正直、手抜きとはいいませんが、質はあまり良くないです。まあ、自分のマンションではないので関係ないのですが。。。でも、まあ雨風が凌げるところにいさせてもらえてるのだから、文句も言えないか。あとは、食と、衣ですね。衣食住です。米とか買いだめしておかなければなりません。あとは、その昔、ベルギーの修道院たちが飢えを凌ぐために飲んだという、ビールです。楽しむためではなく、腹を膨らませるために、水の感覚で飲みます。そして、酔うと、逆に正常な判断ができるので、私には効果的です。ただ、私はケチケチしてるのが嫌いなので、少量ずつを買って、それを繰り返すというのはあまり好みません。おかずでも大目に作ってました。母親がそうでした。父親と暮らすようになって、父親のケチが移ってきました。これじゃ、いかん、と気持ちを引き締めている所です。

 

最近はほぼ、朝の5時くらいに起きています。仕事はしてないんですけどね。なんやかんやですぐに8時くらいになってしまいます。地元は4時過ぎに散歩してる人も見かけます。道徳的な雰囲気があります。ソローもいうように、悪い道にはまり込むのを恐れて、そうしているように見える人もいます。いろんな人がいます。そうやって早起きする住民が多いものですから、夜の9時を過ぎると歩いている人はほとんどいません。

私が早起きしてるのは、ソローが早起きは何物にも堪え難いくらいに良いものだ、と言うのを読んでからです。今風に言うと朝活です。朝が少し楽しみになりました。新鮮な気分で考えられるのは朝だけなので、それがいいんだと思います。これで、森の中の家に住んでいたら、最高なんだけどなあ、と思ったのでした。

 

☆おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書離れについて考える

この小学校すごいですね。読書が盛んらしいです。

media.housecom.jp

 

この問題は数学者の藤原正彦さんの『祖国とは国語』にも書かれています。

 

「我慢力不足は読書離れの原因でもある、、、読書離れは、国民の知力崩壊を惹起し、国家の確実な衰退を意味するからである。」

なんて、書かれています。

 

真面目な話ですが、このエッセイは単純に面白いのでオススメです。この先生は変わり者で有名だし、文章がうまいので飽きる事がないです。

ホリエモンも収監されているときに暇だったから、本を1000冊読んだと書いてありました。最新のネットの情報だけが全てじゃないんですね。どんどん情報を取り入れてもすぐに忘れるので、別に心配することもないと書いてあって、分かると思いました。

一冊の本の中でも、本当に大切だと思う事はほんの数行ってことも多いですからね。

不思議とそういう所だけは覚えています。

 

今読んでいる、ソローの『森の生活』にも藤原さんと同じようなことが書かれています。きっと藤原さんもこの本を読んだのだと思います。ただ、ソローはアスペルガーなのでかなり極端ですが。ただ、彼は数年、森に住むのですが、実は社交的な一面も持っています。森から離れたあとは、普通に街で暮らしています。変わ者でも、ちゃんと適応できるんだな、と思って勇気づけられました。

 

ただ、読書離れと言っても、何かに夢中になってる人は無理して読む必要もないと思いますけどね。読む人と読まない人の差が激しいので、その辺がもう少し均等になれば、

いい日本になるのかな?

 

最近はまたマンガとかを少し読むんですが、今読むと、何か台詞とかストーリーに感心ばかりしています。書籍と同じでちゃんと校正してるからなんでしょうが、適切な言葉が当てはめられていたり、いちいち感心しています。昔とは違った楽しみを発見しました。そして、やっぱり原作者さんはすごいんだなと思いました。最近は絵を描く人とお話を作る人が別の人って多いですよね。

 

夏休みと言えば、夏目漱石

 

海外では、サリンジャーなんていいですよね。

私は、サリンジャー村上春樹訳の『フラニーとズーイ』が好きです。

 

よく、考えたら『森の生活』もアメリカですね。アメリカの小説も奥が深いです。

といっても、あまり数は読んでないですが。。。

 

☆それでは

 

 

 

 

「他人を気にするのをやめろ」というブログを読んで僕が考えたこと。

今日のはてなブログトップページでこういう記事を読みました。

結論は、薬で強気になった私は、他人を気にするのを止めた。

他人を気にするのをやめろ。

というものでした。それでも、一般の人も大いに興味のある話題なんですね。

鬱の人と、一般の人は世の中の見方がかなり違えど、他人の視線を気にして不自由に

なっているのは変わらない、ということなんですね。一般の読者は鬱病の人の記事から

教訓を学び取ったのだと思います。

 

あと、正直これを読んで、他人を気にするのをやめろと言われても共感こそすれ、どうすればいいか分からない、読んだときだけ満足する人がほとんどなのではないでしょうか。

 

当然、なにかアクションを起こす必要がありますよね。

私なりにこのことについて考えてみたいと思います。

まず、彼は鬱やかんもく(幼少期に言葉がでなくなる症状)に悩んでいたことから、空想癖や、被害妄想的なものはかなりあったと思います。すなわち人よりも数倍も人の目が気になりやすい立場にあったと思います。ずばり言えば、私も含めて、こういう人達は空間認知が歪んでいると思いました。漠然と認知の歪みと言えるかもしれませんが、この人目が気になる、他人が気になるというのは、この空間認知能力が正常な人ほど、

特別な成功体験がなくても、今がそれほど良い境遇や恵まれた立場になくても、自分本来持っている自信が現れやすいと考えました。私にもそういう体験があったからです。

簡単に言えば、私はこの場所にいていいんだ!という安心感です。安心感と共に自信が出て来ます。すると、人の目は気にならなくなります。ツイッターで筋肉を鍛えて全てを乗り切れという社長さんがいます。フォロワーは10万人は超えていたと思います。

多くの共感者がいます。単純に筋肉を鍛えて自信が付けば他人の目はあまり気にならなくなる、というものです。これは理にかなっていると思います。個人的なことで恐縮ですが、私も空手で鍛えていた時期は、自信がついたのか他人の目はあまり気にしないで、どんどん行動していました。

 

それでどうやって自信を付けるか?というのは人それぞれのようです。

 

◎グログの人は薬を飲んで強気になったから、他人が気にならなくなった。

これは物質的なものを活用しています。

 

◎空間認知の歪みを自分の頭の中で修正できた時、とくに何をした訳でもないのに、安心感と共に自信が湧いて自信が付いた。

これは、自分でどうしたら良いか徹底的にいろいろな物を読んだりして、考える

作業になります。

 

◎肉体を鍛えて、身体も心も強くして自信を付ける。

物理的に身体を鍛える作業になります。

 

さっと考えてこの三つが思い浮かびました。きっとまだたくさんあると思います。個人個人自信を付けるやり方はあると思います。キーポイントは心の奥底から自信が沸き上がってくるような感覚だと思います。これが来ると確実に他人の目は気にならなくなります。そうなってくると、過去に自分の中でそういう自分がいたとイメージできることが重要になってくると思います。でも、きっと誰にでも一時期にはそういうことはあると思います。だから、そのことはそれほど重要じゃないかもしれません。自信が沸き立てば、後は心のままに行動するだけですからね。

 

今日メインで話したいのは、空間認知についてです。僕も詳しくは分かってないのですが、自分がこの場所にいていいんだ。と初めて思えた体験から、空間認知が関わっているのではないか?と思ったのです(例えば、大きなデパートでフロア全体を頭でイメージして、自分が今どの位置にいるのか?というような空間認知能力とは全く違うものだと考えてください)。そういうのが優れている人は気になりにくい事実もあるかもしれないですが、ここでは置いて置きます。

 

最近は新聞や本などで、一般の人でも被害妄想的な物や不必要な思い込みが増えていると読んだことがあります。つまり、鬱の人の記事に一般の人も共感したのは、程度の差こそあれ、ただ普通に他人が気になるのではない、かなり思い込みの激しい、軽い妄想的な思い込みから、他人が気になっている人が増えているのではないかと思ったのです。事実悩んでいる人の多くは、思い込みの激しさから、他人が気になってしまうなのではないでしょうか?

 

つまり、そういう思い込みや自意識過剰が空間認知までをも狂わせている、と考えました。例えば、東京の広い街中で、不安になることはあるでしょうが、行き慣れた場所だとなんとなく安心しますし、歩き方もどことなく堂々としていることってありますよね。それは、その場所が自分にとって、馴染みのある場所で自分がいても良い場所だと認識できているからだと思います。新入社員が周りの目が気になり不安なのは、その場所が初めての場所だから、ということも大きな事実ですよね。

 

ただ、現代社会では、そういう慣れた場所でも他人の目が気になり過ぎるようです。

そうなってくると、やっぱり自分の頭のなかで誤った認知を修正する必要が出てくると思います。そんな医療的な言葉を使わなくても、実際はこうなのに、今、私はこんなことを考えてしまっている。それで、必要のない不安を感じている、とかいろいろ考えて分析するのがいいと思います。もちろん、薬も筋トレも大切だとは思いますが、ここでは、普段の自分の空間認知を考えてみましょう、ということで。

 

かなり哲学的な話になるかもしれないですが、自分のいる場所を見極めろ、とも言えると思います。今読んでいる、ソローの『森の生活』でソローもそんな事を言ってました。ソローの言っている真理は私には分かりませんが、考えたのは、今、自分は会社のどこのフロアにいるのか、とか、自宅を出た所にいるとか、マンションの廊下でエレベーターを待っている、とか、東京の街のどこどこにいる、とか自分を客観視して眺めて見ることなんじゃないかと。

 

なぜこんな事を言うかというと、そういう当たり前の場所でも、多くの人は考え事をしたり、人間関係に悩んでいたり、先のことを考えたりして、今いる場所を見つめてないことが多いと感じたからです。そうすると、認知が歪み地に足が付いた感覚が希薄になります。自分の存在が曖昧になってきます。するとなんとなく自信もなくなってきます。他人から見られた、自分をイメージするのではなくて、遠くから、今いる自分を眺めて見るイメージです。すると他人の目から意識が離れます。いつもは無理かもしれないですが、自信が湧いてくることもあるかと思います。さっきも書きましたが、自信が湧いてくれば、あまり他人は気になりません。あとは、自分の心にまかせて行動すればいいと思います。自分のしたかったことや、自分の出来る範囲のことが出来ると思います(当たり前)。

 

こんなことを考えてみました。ただ、考えるだけではパンクするので、いろいろ楽しんで工夫するのがいいかもしれません。

 

☆おしまい

 

 

 

 

 

今週末から夏競馬開幕です☆

おはようございます。昨日の夕方ものすごい眠気に襲われましたが、横になるだけでスマホの動画を見てしまったので、結局寝れませんでした。朝も眠いです。楽しむのもほどほどにしないといけませんね。よく、欲張りだと言われます。反省。

 

昨日の宝塚記念武豊さんのタンビュライトは5着で残念でした。でも、勝つチャンスはあったみたいで武さんも悔しそうでした。勝った、和田騎手のミッキーロケットはすごかったですね。和田騎手の涙ぐむ姿に感動しました。前走も、レインボーライン、スワーヴリチャードらと同等の戦いをしていたので、勝っても不思議じゃないですよね。結果論ですが。。。そもそも、このレースは軽く荒れるとJRAも言ってるけど、いざ始まるとみんな本命に目が行ってしまうんですよねw。不思議です。

 

週末から夏競馬が始まります。もう、目を吊り上げて競馬をしなくても、のんびりやろうって気持ちになります。夏休みみたいなものですかね。競馬を初めてちょうど一年くらいになりますか。地方競馬場にドライブで行ける機会があれば楽しそうです。行くなら、新潟がいいですね。関越で一本だし、日本屈指の巨大競馬場を見てみたいです。

今週で仕事が終わりなので、なんとか全部休まずに出勤したいです。

 

ではでは。

映画『ラ・ラ・ランド』

今日の朝、この映画を見ました。ジャズピアニストの彼と、女優を目指す彼女との恋愛ミュージカル。前半部分は昔ながらの定石のミュージカルシーンがあまり出てこなくて、退屈してました。終いには、ピアニストの彼がシンセサイザーを使ったクロスオーバージャズのようなバンドに参加することに。。。一方の彼女は、オーディションを受けるが、なかなかうまくいかず。。。彼の方は、この新しいバンドが成功してツアーに出るというが、彼女は浮かない顔。彼の本当にやりたいジャズは、セロニアス・モンクなど、過去の名プレイヤーのようなジャズだと知っていたから。それでも、彼は収入の為といいこのバンドを続ける。一方の彼女は女優の道を諦めかけたが、最後のオーディションで一躍有名女優となる。彼の本当にやりたいのは人に売れる為の音楽なのか、それとも本当にやりたいジャズの店をやることなのか?彼女が問いただして、口論するシーンは考えさせられました。前半部分があまりピンと来ないと感じたのは、華やかだけれど、彼の本当のやりたい音楽を我慢していたり、私たちが望んでいるミュージカル映画ではななかったから。前半部分のような、過去のミュージカル映画の名作を無視した新しい映画なら、ユアン・マクレガー主演の『ムーランルージュ』の方が全然面白い、これはつまらないかも、、、と思ったけど、最後の方は、彼がその後自分の店を持ち、本来のジャズを演奏するようになって、僕たちが望んでいたようなクラシックなナンバーがいくつか演奏されて安堵したのでした。。。ミュージカル映画はもう終わったのかな?文学も終わったって聞いた事あるし、、、と思ったけど、伝統的なミュージカル映画は守られたと感じました。最後はお互いに成功してハッピーエンドなんだけれど、やっぱりこの映画は、現代にジャズは受けない、新しい物でないと受け入れられない、受け入れられるものが正しいのではないか?の問いにあると思いました。これは、ミュージカル映画や女優さんそのものにも投げかけられた問いではないかと。彼が言っていた台詞、「この街では、お金や見た目で何もかも判断される、中身はあまり見てくれないんだ」というのと繋がっているんだと思いました。最終的には、お互い成功するんだけれど、その根源となっているのが、他人に受けるものではなくて、自分が情熱を向けられるもので成功する、ということを伝えたかったのだと。。。情熱があれば、流行ものでなくても、人々は集まってくると。。。その通りになってますよね。話は変わって、現代の古くさいロックバンドでも、人々に愛されてるのは、そういうことなんだと思います。もちろん最新の流行も大切だとは思いますが。。。それはまた別な話ということで。

最近は、スマホでも一つのページで数秒間、読者の目を止めてもらうのも難しいと言われる時代。映画を2時間座って見てもらうのは、大変なことだと聞いたことがあります。もちろん、映画好きはたくさんいると思うけど、普通に映画を楽しんでいた人達はもう少し時間の短い物を好んでいるのは事実のように感じます。そんな現代を感じ取った映画のようにも思いました。全体的に歌のシーンが少なかったような気がしますが、楽しめた作品でした。

 

☆おしまい

 

 

富士登山の思い出

こんにちは。10年くらい前でしょうか。富士山に一人で登りました。スポーツカーで5号目まで登り(古い中古車だったので、急勾配と気圧の関係でエンジンが止まりそうでした(笑)そして、夜中の11頃に山中の宿に止まりました。もう、くたくたでした。私は12時頃に寝たと思います。疲れ果てていたので、爆睡しておりました。

朝、起きたら7時でした。他の宿泊客は3時くらいに起きて全員が日の入りを見るために出発していました(数日後に気づいたのですが。。。)。私はいつもと変わらない日常のように、ゆっくりと起きたのでした(笑)。入念に計画を立てて、装備もばっちりだったのですが、そこまで考える余裕はなかったです。宿のおかみさんが「朝食食べる?」と聞いてくれたので、有り難く頂くことにしました。卵焼きにみそ汁。気持ちのよい朝、たくさん寝て元気でした。とても幸せな気分でした。装備を整えて、宿の人に見送られながら、元気に登り始めました。「いってきまーす。」もともと、森とか山はすきなので、見た事もない風景にテンションが上がっていました。どんなことろでも、

乗り越えられるような気分すらありました。8合目くらいまで、上がってきました。何より感動的なのは、その風景とあとは鉱山植物です。図鑑も見ていきましたが、ちいさなスズランのような淡い紫の花がたくさん咲いていました。これが、可愛らしくて最高なのです。鉱山植物に見とれて歩いていたら、どうやら帽子を一つ落としてきたようでした。7合目まで戻る途中に、登山客に聞いたら、そういう帽子は見かけなかったとのこと。なら、もう一つ出すか、と帽子を取り出すと。女性が「あら、用意がいいのね」と一言。お気に入りの古着屋で買ったポールスミスの帽子は残念でした。そんなやり取りも楽しいのが富士登山の良い所です

 

9合目です。ベンチでへばって微動だにしない人達がでてきました。空気が薄くなってくるので、体力に自信がないと辛いかもしれません。でも、普通のおばさん達も登ってるので、そこは気力勝ちですね。気力は体力のなさを補い、身体をうまくコントロールする、と勝手に考えています。それにおばちゃんはあまり、細かいことは考えないのがいいのかもしれません。登ったのは、一番人が少ない須走口です。その頃は今程、登山客もいないので、余計に空いていました。ときどき2、3人見かけるくらいで、大自然を独り占めしているような感覚でした。

 

ついに山頂の鳥居が見えてきました。みんな写真を撮っています。私も頼んで写真を撮ったり、撮ってあげたりしました。ついに、山頂だ!と思うと有頂天でした。杖の焼き印も押してもらいました。この杖は祖母の家にもありまいた。その話を後日すると、祖母は「そんな事言ってくれる人は今までいなかった。嬉しい」と言ってくれました。偶然の一致です。話は戻り、ついに頂上です。ラーメンとかを売ってるのですが、すごく高いのでやめて、おきました。でも、うどんは食べたような気がします。頂上には、小さな神社があるらしいのですが、山頂を少し歩きます。今回は止めておきました。次回は行ってみたいです。下山は、須走口名物砂走りで下山です。これは、砂利のようになっている下山道を一歩一歩歩くのではなく、その名の通り、スライドして滑り降りてくるものです。子供達が好きそうな遊びです。でも、大人でも夢中になれます。

 

ついに、暗くなって来ました。真っ暗です。今、3号目くらいです。知らない間に5人くらいの一団が形成されていました。私は強力なライトを頭に付けていたので、後ろから前の人達を照らしてあげていました。そこだけ、昼間のように明るかったです。みんななにか、ここではぐれたら戻ってこれないぞ!というような緊迫感が感じられました。私は何か、この状況が楽しくてしょうがなかったです。話しかけたけど、疲れからかあまり話をしてくれませんでした。夜の怖さもあったのかもしれません。

ついに、下山です。そのまま車で山を下りました。泊まれる、温泉施設を見つけたので、そこに泊まる事にしました。車の中で、いいようのない充実感に襲われました。

ついに登って降りてきたぞー!!こんなに充実感を感じたのはこの時が初めてだったかもしれません。ただ、とても疲れました。初めての富士登山で、全て一人で計画してやったのですから。でも、宿の人や道中の人がいたから寂しくもなくて、楽しいだけでした。またいつか登ってみたいですね。

 

☆おしまい

 

 

 

 

 

 

 

東京エッセイその2(豊洲)

豊洲は会社の研修で一ヶ月くらい埼玉から2時間くらいかけて通っていました。その頃はほぼ何もない所でした。店と言えば巨大なホームセンターか路地裏の外国人が営むキムチの店でした。朝鮮学校も近くにありました。海が見える公園を散歩するのは気持ちいいのですが、何か人工的な雰囲気は否めませんでした。ただ、散歩するには悪くない街でした。オフィス街を眺めながら時々、こういう公園で緑と海をみながらのんびりして、カフェでお茶をする、何よりもその頃はほとんど人が歩いていなかったので、私は結構気に入っていました。豊洲は場外市場も稼働するようになると人でいっぱいになるんでしょうね。あたらしいマンションもたくさん建っています。ただ、この辺に住みたいとは私は思いませんが。。。。その後、仕事で豊洲駅前のオフィスビルで働いていました。いわゆるIT土方と言われるシステム運用オペレーターの仕事でした。様々な人達がいました。バンドマンや地方から上京してきた若者など。私はどちらかというと三鷹で管理者見習いでやってたので、ここの仕事は退屈ですぐに辞めてしまいました。それよりも、先に書いた別の会社の研修が印象に残っています。年配の社員の人の語り口が、情熱たっぷりで聞いているだけで、元気がでました。私もやる気はあったので熱心に質問したりしてました。帰り、夕暮れの豊洲の街を歩いて駅まで行くのも楽しかった思いでです。

 

テレビのお散歩番組が好きなのですが、豊洲で隠れた穴場スポットを見つける、みたいなのを見ました。パッとみると、ほぼオフィスしかない豊洲だからこそ、カフェやお店を見つけたときは嬉しいです。またいつか豊洲散歩してみたいと思います。本当にオフィスしかないのですが、、、。歩くのが好きな人にはオススメ?です。ただ、本当に何もない地域なのでタワーマンションに住んでる人達はどんな生活をしてるんだろう?って思う事はあります。私の想像では買い物はほぼアマゾンで休日は都心へ遊びにいったり、近くの公園へ行ったりでしょうか?本当に生活感が感じられない街なのです。ホームセンターなど、巨大すぎて多分歩くのが嫌になります。若くて、今風で工夫して生活できる人なら楽しめる街かもしれないです。

 

☆それでは