発達障害ギリギリ日記

ASD(自閉症スペクトラム)を抱える中年の日記

メンヘラを少しでも良くするために僕がしてきたこと。

こんにちは。表題の件ですが、それは文章をたくさん書く事です。人格障害の人の治療でも日記や自伝的小説など治したい気持ちが強い人は積極的に書くと本に書いてありました。やはりアウトプットは大切だと思います。森田療法を受けたこともあるのですが、必ず毎日日記を書かなくてはなりませんでした。自分の一日の行動を振り返り、症状に振り回されず、やった出来事などを書いていったのです。

 

そもそも、私は読書はおろか作文などもほとんど書いた記憶がありませんでした。学生時代の読書感想文なんかも、本を丸写ししていたと思います。

 

それから文章らしき物を書いたのは、東京で一人暮らしをしていた25歳くらいの頃でしょうか。パソコンで自分だけが読めるホームページを作って、そこに日記を書いていたのです。今でも覚えていますが、新しいパソコンが欲しいとか、当時好きだった作家の森博嗣さんとか筒井康隆さんとか、そんな内容の日記だったように思います。そんな感じでコツコツ日記などを書いていたように思います。でも、やっぱり文章が下手なので、途中で投げ出したり、時には書いたりとそんな感じでした。

 

35歳くらいの時、なぜかいきなり詩と小説を書くようになりました。もともと、何かを作るのが好きなのですが、その思いが頂点に達したのでしょう。拙い日記しか書いたことがありませんでしたが、必死になって書きまくりました。詩は120個以上は書いたと思います。短編小説も20くらい、長編小説も5つくらいは書いたと思います。1ヶ月仕事をしないで小説だけ書いていたこともありました。最初はやっぱり下手なんですが、だんだん形になってきているのが分かりました。客観的な評価を貰ったのは、ひとつの長編小説で家に出版社から賞状が送られてきました。これにはびっくりしました。小さな出版社かもしれませんが、他人に評価されたことが嬉しかったです。

 

もう、限界まで、これ以上アウトプットできないだろう、というくらいに書きまくりました。そこまで書くと逆に精神には悪いような気もしますが、アスペルガー的な集中力で書き進めていたのかもしれません。

 

文章を書いてきて、何か分かったのか?と言われれば答えに窮しますが、でも何かが変わったとも言えると思います。自分の中の感情を吐き出すことはやっぱり精神衛生上にも良さそうですし、小説や詩は完成した時に充実感を与えてくれます。

 

現在も細々と小説を書いています。でも、もうほとんど文章が出てこなくなってしまいました。それでも、たまにパソコンに向かって打ち込んで、少しでも進めば良しとして自分を慰めています。読書もしますが、何か文章を書くヒントになるかも?と思って読んでいます。その時には役に立たなくても、心の底に沈んだ言葉が、ふとした瞬間に蘇ってくることもあるかもしれません。そんなことを期待して読んでいます。プルーストの紅茶に浸したマドレーヌのように、ふとした匂いや味によって、過去の読書の記憶が蘇ることもあるかもしれません。

 

ただ、やってはダメだと思ったことは、働かない頭にムチ打って書かせることですね。これは仕事でも同じだと思います。志茂田景樹さんもツイッターで書いてましたが、これは頭が壊れてしまいます。私は多少無理をしました。脳にも影響が出ているようにも思います。メンヘラを良くするために書いたのに、脳を損傷してはどうしようもありませんよね。得たものと失ったもの、どちらが大きいのか私には計る事ができません。

 

それでも、今の頭で進んでいくしかありません。また文章を書く喜びが得られたらいいなと思っています。それまでは、マイペースです。

 

それでは、また。