発達障害ギリギリ日記

ASD(自閉症スペクトラム)を抱える中年の日記

泣きやすくなった話

こんにちは。

 

中年になってもやっぱり落ち込むし、すぐに悲しくなるし、感受性が高いんだと思います。年中感動できる音楽とか聴いてるし。そういうのに浸ってるのが自分に合うんでしょうね。もしかしたら、自分を慰めるためにそういうことをしているのかもしれない。映画とかアニメを見て泣いたり。最近は本当に涙もろくなってきました。昔はこんなじゃなかったです。インディーカー佐藤琢磨がインディ500を制覇した時はもちろん、泣きましたが、それ以外でも普通にアニメを見ていても泣くようになってしまいました。なんなんだろう。。これは。。。

 

でも、一人で自由を感じて安心を感じて、安全基地を求めて、こうやって感動できる音楽とかで自分を癒して、これをいつまで続けるんだろう?とも思います。自分を守る行為ですよね。これは。何か外に発散する行為ではないですよね。もっと現実に目を向けた方がいいような気もします。どこまでも癒しを求めても、何も変わらないような気もします。カウンセラーさんにはこういう落ち込んだ話は逆にできないんですよね。本来はそういう人に打ち明けるべきなんでしょうけど、褒められたいのか、自己分析をこれだけできますよ!的なことを話してしまうことが多いんですね。困ったものです。

 

あと、安心していることで、他人から優しくされたり守られていると錯覚しているのかもしれないです。そうやって、癒しを得て自分が丸くなるというか、そういう人間になれば他人は優しくしてくれる、と思ってるのかもしれません。そういうものを求めてきた部分がありますからね。でも、どこまでもそういう優しさを求めていては、先に進むことはできないかもしれません。傷つきながら、仕事を進めていくことはできても、

仕事や日常で自分に力強さを感じたり、嬉しかったり、そういう素直な感情は出てきにくいような気もします。自分は嫌われてもいいと思って、思い切りやったときに初めて安心感を得られるような気もします。ベストセラー本のアドラー心理学の『嫌われる勇気』にもそんなことが書かれていました。

 

考えてみると、心の病とか発達障害の人とか、どうしてもこういう心にフォーカスを当ててしまう部分が多いですね。もっと日常的なことを大切にすればいいのにと思います。こんなことばかり考えていては、ますます現実と離れて行ってしまうような気もしますし。第一普通の人はこんなことはあまり話題にはしないですよね。でも、私たちのような人は、そういう話題を大切にしているというか、自分のアイデンティティにもなっている部分があってなかなか手放せない、ってのも本音かと思います。これが、もっとプログラミングが飯よりも大事とか、仕事が自分のアイデンティティとかになったら、これほど悩まないで現実にも対応できるのに、、、って思います。

 

ただ、子供の頃から繊細なんですね。それが全てです。繊細だからこそ、そういうものを求めてしまうのだと思います。小説なんかも書いてますけど、でも、そういう繊細さはあまり活かせてないですね。ちっとも感動できる作品が書けてないですから。それよりも、ひたすらメランコリックな世界観を書きたい、というか書いてしまう自分がいます。もう少し、現実を見なくてはw。

 

それでは、このへんで。