発達障害ギリギリ日記

ASD(自閉症スペクトラム)を抱える中年の日記

過去を思い出すこと(記憶)の大切さ

こんにちは。ひさしぶりの更新になってしまいました。今週から倉庫で働いています。あまりに寒くて、職場でさっそく足の指がしもやけになってしまいました。。。それほど寒いんですね。職場では、お昼休みの食堂に入るのが怖くて、高卒で働いた印刷工場の時から苦手なんですよね。緊張してしまって、周りとの仲間意識がないのです。もともと高校生のころから、喋れなくなり(原因不明)、友達はたくさんいましたが、自分を守るバリアがなくなったような感じでした。だからこそ、周りの人は友達になってくれたのかもしれませんが。でも、大人になって社会人の中になんのバリアもない状態でいると、まったく落ち着きませんし、周りの人との仲間意識もないですし、仕事も協力してやってるとは言いがたい状態です。そんな気持ちでいるだけで、嫌われる確率も高いですし、些細な言動にビクビクしてしまいます。そもそも仕事に身が入っていないのが良くないのかもしれません。

 

昔、NTTで働いてた時に、一人アウトローな青年がいてみんなの評判が悪かったんですね。別に彼が悪いという訳ではないけど、日本ではそういうアウトローな存在っているだけで、批判されがちなんですよね。その時、自分はどんな位置にいたかというと、退院して心機一転、うまく溶け込めないながらも、みんなの中に入ろうとしてる状態でした。そうして考えてみると、そのアウトローな青年とは対極の普通の社会人の位置にいたのではないか?とも思えました。その青年よりは少しはマシだったと思えたのです。今日、新しい職場で仕事をしながら、そんな事を考えていたら、周りの人とも自然と協力できたというか、仲間意識というか、うまく協力できたんですよね。不思議です。なんでそんな状態に拘るかというと、自分が楽ですし、仕事も捗りますし、嫌なことも考えずに済むからです。だいたいの人はそうやって仕事をしています。私みたいな人ばかりでは会社が成り立ちませんしw。困ったときには、「昔の良いと思ったこと、ないたい自分を思い出す」のがいいのかもしれないと思いました。考えてみたら、昔からそうやって辛い時は乗り越えて来たような気がします。

 

プルーストの『失われた時を求めて』の主人公も、幸福感を感じた瞬間のことを思い出そうと必死にあれこれと考えて、記憶を取り戻そうとします。そうすることで、またあのときの幸福感を味わえると思っているのでしょう。快楽主義とも言えるでしょうか。

邸宅の敷石を踏み外した瞬間に幸福感でいっぱいになる瞬間が描かれているのですが、きっと主人公はもう一度その敷石を踏み外してみたり、その時の心理状態を思い出そうとしたのだと思います。私にもその感覚は分かります。いつもの散歩道を散歩していて、視線恐怖の強迫観念が治ったときは、また数日後に同じルートを散歩して、その時の感覚を取り戻そうとすることもあります。どうしてもその感覚をもう一度味わいたいからです。私の場合はその感覚さえ取り戻せば、人生が楽にもっとうまく進められると信じているから、そんなことを試しているのですが(果たして本当にそうなるかは分かりませんが)、本の主人公はなんでそんなに恍惚を感じるために幸福感を追い求めたのでしょう。小説が書けない自分が嫌になったのか、はたまた、小説を書く手がかりになると思ったのか、どちらにせよ、主人公にとって、「記憶」というものが、普通の人以上に重要なものだったことは確かで、それを追い求めることこそが、主人公の追い求める人生だったのかもしれません。はたまた、貴族の内面的な遊戯なのか。。。難しい本なので、私の知る所ではありません。いつか、図書館で解説本でも読んでみたいと思ってます。

現在を生きる人にとっても「記憶」や「思い出」はとても大切なものです。時には、それが、その人を助けることにもなるのだと思います。過去の記憶を思い出してみれば、何か良いものが見つかるかも知れません。

それでは、また。

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